2003.01.28 悩み
  人の悩みは深いですが、その深さは表に出ても、その人でないとわかりません。だから、解釈をします。落ち込んでいても、その落ち込みは人によって異なりますから、悩みを理解することは、悩みの内容よりも、悩んでいる状態なのかもしれません。人知れずの思いを秘めておくことは、忍耐力につながります。強くなるために人知れず悩みをかかえる。それで成長するのかもしれません。
 悩みは誰にでもあります。その悩みをどのように克服するか。それが短期の終わったものならまだしも、継続するものなら難しいでしょう。でも人の心はすぐに壊れそうになっても回復します。その回復には外からの刺激か、あるいは時間が必要です。時間をかけていくこと、今はわからないこれから先に回復できるものです。

 悲しいときに自分を悲劇の主人公に仕立てて想像することがあります。これからのストーリーも含めて想像してしまいます。赤毛のアンのように楽しいのではなく、暗い想像です。ネガティブに想像し、その中の自分を悲しく追いつめる。そして誰かがそれに気づくような想像。それは自分を客観的な存在としてドラマのように見ていて、それで悲しんでいる、観客としての想像があります。それに入っている時は、まだ自分が観客の域を超えられないので、ぐるぐる思考をしてしまいます。だから、自信と安心が必要です。何かをして達成でき、信頼できる他人から評価を受けることが自信です。

 理性と感情という概念があります。対極ではないのですが、しかし、対極として捉えることができるものです。理性で選んでいる、考えていると思ってることが実は感情だということがあります。例えば受験勉強、あるいは勉強です。理系文系という判断はどのようにしてなされたのでしょうか。実際の成績だけではないでしょう。好みが条件として加わっています。あるいは重要な条件として存在しています。そうなると、受験へのプロセスは、好悪の判断が入るのであり、それは主観的な判断です。そしてその判断理由は好きだからということになるので、理性的に判断したと明言できません。それゆえ、受験へのプロセスとして理系文系の判断や志望校選定には好みが判断してるので、それは感情で判断していると言っていいものです。
 勉強が感情なら、記憶も感情かもしれません。勉強がはかどらない、乗らないというのは、きっと感情で勉強しているからでしょう。理性で勉強しているのではなくて、感情の一部機関として理性を考えれば納得できることです。感情という大きな壁に向かうとき、理性という脆弱な装置は一つの代え難い力としてあがめられますが、実はそれは幻想に過ぎません。むしろ、感情を肯定的に考えることが、理性との調和、いや、調和なんていう言葉はあいまいですが、絡み合った関係を維持できるのではないでしょうか。それを中島敦は「人はだれしも猛獣使いであり」という言葉にしたのだと思います。

 寝られない一週間が始まってまだ2日目なのですが、休みがない分、辛いですね。今日もかなり無理をしました。 

 本日購入のCD
Vivaldi「Four Seasons:Biondi/Europa Galante」
Mozart「Comp.Symphonies:Hogwood/Aam」
Chopin「Piano Concerto.2:Ax,Mackerras/Age Of Enlightenment.O」
Chopin「Nocturnes:Boegner(プレイエル 1836)」
 なぜショパンかというと、プレイエルを使った演奏だからです。古い楽器、特にショパンの時代に近いピアノの音で、ショパンが耳にしたであろう音を聴きたかったのです。なかなかいいですよ。いいCDです。日本語版がないのが残念ですが。

本日購入の本
『暮らしの手帖』第二号

 昨日から、ホームページ作成をDrameweaverMXに変えました。まだホームページビルダーの手取り足取りの使い方からなれませんが、コツをつかみ始めるとうまくいくようです。コード・タグインスペクタは気に入りました。このようなのが欲しかったからです。TABLEの操作のアイコン見あたらないので調べてます。GoLiveよりこちらの方がいいですね。


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