鴛鴦呼蝉庵日乗
  2001.10.11 ピクニック
 昨日の大雨と違って、からりと晴れ上がった一日となりましたので、いろいろたまった仕事をするにはちょうどいいのですが、それでももったいないので、昼ご飯を兼ねて、歩くことにしました。8月より体調と精神的なものとどうも調子が悪く、精神的なものはもうよくなったのですが、体調がよいのか、悪いのか、体重が減り続けて、やっと先週より減少が止まって安定しています。それで、健康のために毎日1時間歩くことにして、ちょっと先の公園まで夜遅くに歩くことにしています。夜遅くというのは、それは帰るのが遅いからであって、別に夜行性ということではありません。
 それで、近くの公園におにぎりを持参して食べていたのですが、いままでは夜歩いていたので、全くあたりの景色はわからず、見直してみるといろいろ新しい発見がありました。むらさき色の実をつけた草や、まん丸の松ぼっくり、真っ赤な水引草、百舌の鳴き声、紅葉の始まり、さわやかな風の中で、おにぎりと頂いた卵焼きで堪能しました。風は秋の緑の中を通り抜け、そして、秋から冬の気配をあたりにまき散らしながら、犬の散歩の人の前を横切って、最後の秋日和を残していきました。
  ◇
 昔と今と比較すると、かなり自由になってきているのではないかと思います。高校の頃までは、ライブコンサートに行くという発想はあませんでした。大学に入ってから始めていくつかのコンサートに行って、野外ライブも経験し、それからいろいろ行くようになりました。そして、今まで見たことのないものを見ようと、いろいろなものを手当たり次第に見ていきました。クラシックバレエはその最たるもので、最初は一番安い席を取っていましたが、ある時一番高い席しかなく、その席を取ったのですが、その席から見ると、舞台の人々の様子がはっきりと見えるのです。今までなんで後ろで見ていたのか不思議でした。その舞台はその時しか見られません。それなら、一番よい席で見るのが一番です。その時に高価でも自分にとって有意義であれば、それは投資した価値があると思います。
  ◇
 さて、今日という日がまたとない日なので、ピクニックというにはあてはまりませんが、公園で昼食をとり、そして体を動かす、そんなことは毎日あっても、その日はその日だけのものです。毎日毎日がいろいろな出来事、それがささいな出来事でも、それを歴史として積み重ねていくこと、それが人生なのではないかと思います。
  雨が降り、雷が鳴り、雪が降り、そして晴れる。そんな日々を繰り返すように見えて、実は毎日がそれぞれ新しい日々の出会いであって、その日はその日だけもの、その日のできごとは、つらいことがあっても、それは自分を活かすための試練と考えると、なんとか楽になりそうな気がします。そんな出来事を繰り返すこと、実は小さな幸せなのかもしれません。
 締め切りに追われ、そして、仕事に追われて、まだまだ自由なことはできませんが、それでも、なんとか次なる目標に向かって行くこと、その目標があれば、生きる力になります。そんな力を実は持っているのですが、毎日の生活で忘れてしまいがち、いや、気づかないことが多いのかもしれません。それで、いろいろなつらいことやいやなことがあって、その比較で楽しいということに気づくのでしょう。人はいつでも比較することで、自分の位置のたしかさ、幸せ、喜びを知るのかもしれません。あらゆるものが、自分の鏡となっていくのでしょう。もちろん、そこには自分の鏡といいつつも、どこかで演技している自分がいるかもしれません。しかし、鏡であるから、演技が見えて、そして見えた先に自分が見えるということもあるでしょう。
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 今日の散歩は靴をおろして使い始めをしました。新しいものをためすというのは、なかなか気持ちがいいものです。すこし使うとなじんできます。そのなじみというのが、自分の個性なのかもしれません。

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