国語教育におけるキーワードとしての「言語生活」(2) [発表要旨]

昭和初期での概念の生成

第九七回全国大学国語教育学会 自由研究発表 第一日 1999(平成11)年10月21日(木) 上越教育大学

1999.8.24
黒川 孝広


国語教育におけるキーワードとしての「言語生活」(2)

昭和初期での概念の生成

黒川 孝広  

キーワード:言語生活、国語生活、遠藤熊吉、小笠原文次郎、丸山林平

1研究の目的
1.1 研究の目的
 国語教育における「言語生活」の語は、ある概念を示すためのキーワードとして用いられている。それは国語教育や国語学で様々な議論が、統一した「言語生活」の定義を作成するまで至っていないことからも明らかである。前回(第96回学会)の発表では、大正自由教育において、
@知識重視型から行動重視型に教育方法を変えることで、子どもの言語行動を観察する必要があったこと。
A音声言語をも重視し、言語活動を重視していたこと。
B大正自由教育での「言語生活」「国語生活」の語の概念は、その後論文や実戦報告などで引用されず、国語教育全体には大きな影響を与えなかったこと。
C国語教育の進化とともに新しい概念を規定する用語を必要としていたこと。
と、国語教育方法のマンネリ化打破のための概念を表す一手段として「言語生活」や「国語生活」の語が用いられたことを考察した。
 本研究では、昭和初期での国語教育者が「言語生活」をどのような意識をもっと、どのような概念のキーワードとして用いていたかを明確にすることを目的としている。
1.2 先行研究
 国語教育における「言語生活」の先行研究はこれまで西尾実や時枝誠記が中心であり、最近になって、昭和初期を取り扱った小久保美子の論考(1)があり、また、遠藤熊吉について小原俊の論考(2)があるが、当時の小学校教育者の中にある意識を相対的に論じたものや、小笠原文次郎の「言語生活」に関係しての文献はまだ見あたらない。
1.3 本発表の範囲
 本発表では昭和5年から11年までの以下の小学校教育者を対象とした。これは、「言語生活」の概念が国語教育の現場から生まれたものであるという仮説に立ち、国語教育者たちがどのような意識で「言語生活」の語を用いたかを探るためである。また、大正自由教育以降では比較的早い時期に「言語生活」の語を使用しているので下記の三名に限定した。
遠藤熊吉   秋田県西成瀬小学校
小笠原文次郎 函館市常盤小学校
丸山林平   東京高等師範附属小学校

2研究の成果
2.1 遠藤熊吉
 遠藤熊吉は言語教育を「言語活動、言語生活の指導」であるとし、抽象的なことを知識伝達するのではなく、具体的な言語活動、「言語生活」の指導をすべきであるとする。そして、文字言語よりも音声言語の指導が先であるとし、その音声言語も、「言語生活」そのものを浄化、醇化するという意識から、標準語教育を中心とした。
 この標準語教育志向は、シャルル・バイイ『生活表現の言語学』(3)の影響による。遠藤熊吉も同書をよく引用し、それよって「言語生活」そのものを醇化する意識があった。当時、全国的に国内の他地域との交流、特に政治的中央に立つ東京との交流の必要から標準語教育の必要性が叫ばれていたことも一因であろう。
 遠藤熊吉は、「言語生活」の陶冶を言語教育の目的とし、言語教育の目的を人間生活を発展、創造していく「自覚喚起」にあるとする。つまり、知識伝達のみでなく、意識改革を目指していることであり、「言語生活」を教育目標として用いていることになる。
2.2 小笠原文次郎
 小笠原文次郎は、言語陶冶の目的を「文化財を自己の心の中に生活せしめ、正しく強く明るい自己を建設しつつ発展して行く」こととし、そのためにも、「常に目的の自覚下に苦悩の試練を生活して行く」ことを「言語生活」であるとする。そのためには、言語の知識、相手の言語生活を考えるなど、言語体系の知識伝達のみならず、理解と表現の両方を取り扱い、考え方などの姿勢の問題をも「言語生活」であるとした。単に言語事項の知識伝達や「聞く」「話す」「読む」「書く」の活動面のみだけではなく、文学的な鑑賞をも含むものであり、ここには国語教育の目標としての意識がある。
2.3 丸山林平
 丸山林平は、国語教育の定義を「被教育者の国語生活の発展を助成する作用である」とした。この国語生活を「国語を聞きわけ、または話し、国字で書かれもしくは印刷された文章(文学ならざる文章を指す)を読解し、または書きあらはし、国文学を解釈し鑑賞し批評し、または創作する等の生活を包括する。」と定義する。その内容については、「聞く」「話す」「読む」「書く」の言語行動すべてを含むものであるとしている。丸山林平の「国語生活」は、文学的陶冶を含む言語による様々な生活を象徴して用いられたものであり、表現と理解を含むものである。よって、ここには国語教育の目標として「言語生活」が使われていることになる。
2.4 目標としての「言語生活」
 以上から、言語使用の実態としての「言語生活」という意味だけではなく、児童の言語活動重視の点から、国語教育の目標として「言語生活」の語を用いていることがわかった。言語の知識的修得や、音声言語指導のみならず、文学的文章の読解能力を含めた表現と理解、そして意欲などの総合的な言語活動の目標として「言語生活」が使われているのである。つまり、「言語生活」の語が、教育目標としての価値を持ち、国語教育の内容の全体を示す目標のキーワードとして使われていたのであり、国語教育と「言語生活」は密着した関係にあることがわかる。

3今後の課題
 本発表は、昭和初期の小学校訓導に限定した。今後は昭和20年までの中で、
@教科書の問題
@国語学者での概念
A標準語教育との関係
B日本語教育との関係
について調査する予定である。具体的には、黒瀧成至、山口喜一郎、安藤正次、石黒魯平、および昭和16年から20年にかけての国民学校・中学校の教科書での概念の判別などである。この調査は研究過程の、
@昭和戦前期での概念の生成
A戦後の学習指導要領での取り扱い
B戦後の各理論
C各種批判の視点
D国語学での概念との比較
の@に該当する。


(1)小久保美子「「言語生活」概念の生成・展開過程」『人文科教育研究』25号 人文科教育学会 1998年8月
(2)小原俊「遠藤熊吉の国語教育理論に関する考察」『国語教育史に学ぶ』学文社 1997年5月
(3)シャルル・バイイ/小林英夫訳『生活表現の言語学』岡書院 1929年6月 ※「言語生活」の語は一例だけで、定義はない。これは vie linguistique を訳したものであり、『哲学字彙』と同じく逐語訳と考えられる。


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