国語科授業継承研究方法の構造−「言語生活」の視点からの試み−[発表要旨]

第99回全国大学国語教育学会 ◎課題研究:国語科教育研究の歴史と展望◇第6分科会:国語教育研究方法論 2000(平成12)年10月15日(日) 山形大学

2000.10.17 黒川 孝広


国語科授業継承研究方法の構造−「言語生活」の視点からの試み−[発表要旨]

黒川 孝広  

キーワード:授業継承、授業研究、言語生活、オブジェクト

1研究の目的
 本研究の目的は、授業を継承するための研究方法がどのような構造になるのかを考究することを目的とする。
 研究の動機は、現職として教室で授業をしているときの、自身の授業がどのような要素で成立しているのかという些細な疑問からである。小・中・高と受けてきた授業を意識・無意識的にモデルとしていることもある。また、雑誌などの授業記録や教科書の指導書にある指導案をモデルとすることもある。それらをふまえて独自に授業を構成することもある。また、自分が行った実践を再構成する場合もある。このように、授業を実践していくにはそれまでの体験・未体験の授業をモデルとして、新たに構成し直して実践している。何もない状態から授業を構成するのではなく、すでにある授業に付加・削除・変更を加えて授業を構成しているのである。つまり、授業の多くの場合は、授業継承によって成立しているのである。
 また、研究会で実践報告があると、研究協議で「こういう点が不足している」とか、「私の学校ではこの実践はできない」などの意見が出されることがある。この意見は、報告された実践報告を意見者の視点から分析している。意見者がその報告された実践の場にいたらどうするのかを、意見者が実践報告の教師の立場に立って考え、報告された実践の児童・生徒を相手にしながらも、自分が今までに経験した児童・生徒を思い浮かべて検討しているのである。つまり、意見者が実践報告された授業を思考のレベルでシュミレーションすることで、授業継承しているのである。その時に、授業のさまざまな要素を検討しないと「私の学校ではこの実践はできない」など、一面で判断してしまうという問題がある。
この授業継承の問題が国語教育の歴史に影響していると思われることがある。その一つが音声言語指導重視の経緯である。明治時代では、上田万年や保科孝一が音声言語指導をより重視するよう唱えていた。大正時代では大正自由教育の実践者たちが、話し方を中心として音声言語指導の実践をしてきた。国民学校期でも教育審議会で音声言語指導の必要性が唱えられ、井上赴らはその具現化のために努力していた。戦後になっても「言語生活」の語に象徴される音声言語指導の重視が唱えられた。そして、平成でも音声言語指導の重視が唱えられている。明治、大正、昭和とも音声言語指導の記録は多く残されている。本来なら、それらの実践をモデルにしてよりよい実践へと継承され、ある程度の中核となる実践が報告されるはずである。そうなれば、音声言語指導はある程度充実したものとなり、音声言語重視という論調は少なくなるはずである。しかし、時代を超えて音声言語指導の必要性が同じように何度も唱えられたのは、音声言語指導の実践が継承されなかったからである。それは、それまでの音声言語指導の実践の優劣ではなく、音声言語指導の授業継承の構造と、教師の意識に問題があると考えられる。実践が優秀であっても、それを継承する意識がなければ継承されず、また、物理的な障害があれば継承はできないからである。
 これらの例からも授業継承には授業継承の視点からの研究が必要である。それは授業研究の一部として成立するものであり、個の教師の問題から、国語教育の思潮の問題までを含むものである。

2「言語生活」の範囲と構造
 国語教育での「言語生活」の語を標榜する学習の範囲について考える。この範囲を検討することは、授業継承の研究に関わると判断したからである。この「言語生活」の語を使用することについては、その領域区分に問題がある。
 第一は、領域が活動の側面として分断された面でとらえている点である。「言語生活」の領域として通常は次の四区分が考えられる。
読む 書く 聞く 話す
この四区分は言語活動を考えた時に、その外的活動のある面について抽出した活動である。この場合は、内的な活動である「思考」については、それぞれの区分の中にあると考えられている。しかし、「書く」ことは、自ら書いたものをすぐに文字として目に入れることができるのであり、それは「読む」ことの一端でもある。スピーチにしろ、会話にしても、独り言や録音などでなければ、相手の反応を「聞い」たり、自分の話を「聞き」ながら「話す」ことになる。言語活動は四区分が独立して行われるよりも、それぞれの活動が交互に、あるいは同時に行われるものであり、それぞれの活動のみが独立して行われることは、日常生活では少ない。つまり、この四区分というのは、活動という面から切り離された言語活動の側面なのである。ここに「言語生活」を領域として分類することの一つの問題点がある。
 第二は、実態としての活動の量の比重の点である。先の四区分を等しく並べることはその領域の列挙にすぎない。そこには、それぞれの領域が等しく同質であるかのごとく取り扱う。しかし、日常では、会話やテレビを見る、音楽を聞くなど音声言語が中心となる。一人で電車に乗っているときに、聞くともなく車内アナウンスや乗客の会話が耳に入ってくる。授業中も文字言語による活動も多いが多くは教師の音声を聞くことが多い。テレビを見る時は、画面に文字がでることもあるが、ほとんどは音声である。一緒に見ている人に話しかけることはあっても、テレビに返事をすることはほとんどなく「聞く」ことが多い。
 文字言語の場合も本や新聞、雑誌、車内広告や掲示板など「読む」ことは多い。「書く」ことは会社員であれば、紹介や議事録などの公用文の文書作成が中心となる。日記や手紙を習慣化していなれれば、自分の考えを自分のことばで「書く」ことはほとんどない。もし、「書く」ことが多くなれば、世の中は紙が今以上氾濫することになる。
 日常生活での「言語生活」の中心であり、量的にも多い活動は音声言語による受信の活動である。「聞く」ことが一番多く、「話す」「読む」「書く」の順であろう。このように四区分は量的に対等ではないのに、四区分として領域を示すと、それぞれを同等に扱うことになる。ここに活動の量の比重の問題がある。
 また、「言語生活」の実態についても、それぞれ地域により異なるのであり、使用者によっても異なり、また時代によっても異なるのである。そして、「言語生活」を分析する人の言語観によっても異なるのである。それは、時枝誠記と西尾実の「言語生活」の語に対する意識の違いでも明らかである。
 時枝誠記は、「言語生活」の定義を国語学上から活動の種類と、量の上から分類しているが、それは、総括的な子供から大人に至るまでの一般論としての定義をしているのである。それに対して西尾実の場合はこの「言語生活」の「読む」「聞く」「話す」「書く」とも他者理解、自己理解の方法として捉えていて、そこには、言語活動全般の実態に則してというよりも、その中から活動の意義を教育的観点あるいは理想的な発達段階の観点から抽出し、教育目標としての意識から定義するのである。それゆえ、単に耳に入る「聞く」あるいは、目に入る「読む」ということは、国語教育ではより深く相手理解のための「聞く」や、思考力育成のための「読む」などのように教育的目的が付加されるのである。
 国語教育ではすべての言語活動を扱うことはない。もし、すべて扱うなら蔑視、脅迫、批難、差別などの語や内容も含むことになるからである。国語教育で喧嘩の時の口上を扱うことはまずない。「てめえ、いいかげんにしやがれ」などの文法や内容を教えることはない。また、「書く」ときに婚姻届の書き方を教えることもまずない。履歴書についは最近は「書く」ことはあっても、国語教育での「書く」は定例書式に記入するというよりも、「かけがえのない今の自分のことはで、今の自分を表現する」ということを中心としようとする意識がある。それは、思考を組み立てて、他者と自己の理解をするための過程という教育的目的の付加された活動なのである。つまり、国語教育における「言語生活」とは、教師がすべての言語活動の範囲の中から、教育的に必要な範囲を取り出し、その活動を通して行う授業の目標としての意味があるのである。ありのままの「言語生活」ではなく、教育的配慮をもって抽出された目標としての「言語生活」なのであれば、その抽出は、国語教育の教育者の考えに依存することになり、次の要素を考慮して概念規定されるものである。
 1.個の言語の使用の状況
 2.地域の言語の使用の状況
 3.教材の言語の使用の状況
 4.教師の言語の使用の状況
 5.教育制度の目標と方法の状況
 6.時代としての状況
これらの影響関係をふまえて、教師は授業対象の児童・生徒に対してどのような言語活動を学習させるかを検討するのである。それは、判断する者の意識も影響するのである。
 国語教育における「言語生活」の視点とは、国語学・言語学での一般論としての「言語生活」の範囲から、さまざまな要素を検討して、抽出した目標としての「言語生活」なのである。よって、「言語生活」の抽象的な定義はできても、具体的な活動は、個々の授業によって異なるのである。個々の授業によって授業活動が異なるのであれば、授業継承に大きく影響することになる。

3授業継承研究方法の構造
国語教育での「言語生活」の観点をふまえて、授業継承研究方法の構造を考える。
 実践される授業自体が、それぞれの個々の児童・生徒を対象とし、個としての教師が行い、実践される学校・地域によって特定される。つまり、その一回性のそれぞれの個が、ある特定の場で行われる活動である。それゆえ、その活動を継承するには、継承される基の状況と、継承先の状況とを対照し検討する必要がある。そのため、授業を構造体(object)としてとらえ、その中に各要素が含まれると考える。
1.属性(property)
a.児童・生徒の状況
b.地域・時代・制度の状況
c.教材の状況
d.教師の意識・状況
2.方法(method)
a.教師の活動
b.児童・生徒の活動
3.反応(event)
a.教師の反応
b.児童・生徒の反応
これらの要素の中でも特に重点的に検討すべきなのは教師の属性である。教師がそれぞれの属性をどのように意識しているか、それによってどのような方法を構築しようとしているのか、反応に対してどのような準備をしているのかなどを探ることが必要であるからである。同じ属性の集団であっても、教師の属性が異なると授業は異なる。また、一つの属性が変われば、方法や反応は変わるのであり、授業全体が変わるのである。
 この一つの属性がどのように違うのかを判断する基準として、それぞれの属性の細かな差異を研究するとになる。例えば、児童・生徒については年齢、性別、好み、外観、意識など共通する属性の項目がある。内容は異なるが、項目自体は共通のものがある。また、項目は個人によって追加されることもある。その属性は、基本的なものから派生することもある。教師や地域、教材にも共通する基本的な属性から派生したそれぞれの属性があり、それが個を形成すると考えるのである。
 そこで、各属性について、抽象的な基本型(Type)を設定し、それに個に応じて要素を継承(inherit)しているとする。例えば教師の音声であれば、次のようになる。(型として属性の先頭にTをつける。点線は略した部分を示す。)
授業(object)
├┬ P児童・生徒(T児童・生徒)
│├ P教師(T教師)
││ ├ 音声
││ │ ├ 高低
││ │ ├ 大小
││ │ └ 質
││ │ └─(枯れる/枯れない)
│ └ 言語観
├ M方法
│ ├ 教科書の範囲を「読む」
│ └ 
└ E反応
├ 児童・生徒の質問
 この授業型は、属性、方法、反応などを含むものとしての構造体(object)であり、この全てを継承するのではなく、この部分を継承することになる。授業の中の「おい、元気がないぞ」などの発言は個の発言であり、それは継承することはないからである。
 この継承には、単なる複写は含まないとする。教師が「きりぎりすの存在はどのような効果があるか」と質問したとすると、その質問をそのまま利用することは、継承とは判断しない。継承とは、モデルの授業の教師がどのような属性に対してどのような意識で方法・反応を検討したかを研究し、その研究方法に付加・削除・変更を加えて、新たに対象とする児童・生徒などの属性を研究すること、そして、それをもとに、新しい構造体にすることである。そのために、国語教育の範囲(scope)にと、それを基に対象の児童・生徒に適した順序(sequence)を設定することになる。国語教育において言語活動の全範囲から目標として抽出して「言語生活」としたように、目標を抽出して設定し、方法を工夫することなる。
 そのためには、実践報告・実践記録は授業継承しやすい方法で記録する必要があり、最低限次の項目が必要である。
 1.各属性の説明
 2.教師の言語観・教育観による属性   の分析意識
 3.教師が設定する範囲と順序
 4.教師の方法の説明
 5.児童・生徒の反応
 6.教師の事前意識と自己分析
この中でも、すべての児童・生徒の反応については詳述することは難しいので、理解の度合いや活動の内容、特に記録すべきものなどを中心に複数の児童・生徒の反応を記録する必要がある。
 特に、授業は音声言語による活動が主となるのにもかかわらず、今までのほとんどの授業が文字言語で記録されてきた。それにより、音声言語での属性の一部が記録されなくなる。現在では音声言語や映像も記録できる媒体が出現してきているので、この授業継承のための授業記録の方法を、授業継承の観点から今後検討する必要がある。
 授業を構造体として認識すること、継承する方法の検討、記録方法の検討が授業継承の研究方法の基礎と考えられる。


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