かくかいかくかいNEWS 2000.02.23 時代の反映と恣意

かくかい

NEWS 2000.02.03
[特集] 時代の反映と恣意


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 時代の反映と恣意 

 例えば、現在の状況を知るには何が一番端的でしょうか。新聞でしょうか。しかし、新聞は、事件そのものを報道しますが、日常は報道しません。町の様子、人々の表情は、新聞だけでは伝わりません。テレビでしょうか。テレビでもニュースは事件のみであり、日常の様子も報道することがありますが、それは、行事などのもので、日々の生活ではありません。ドラマもその時代の要求を示すことあっても、その日常を示すことにはなりません。ドラマも特殊な世界です。
 では、雑誌でしょうか。ファッション系統の雑誌はどうでしょう。その当時の状況でしょうか。ところが、ファッションそのものがその先を占めそうとした流行への提示であり、その当時の状況ではありません。日常ではなく、渋谷などの特殊な地域においての特殊な状況です。
 近年マスコミなどで取り上げて、それをまた読み手が楽しんでいるとも言える「コギャル」や「茶髪」ですが、これはどうでしょう。どのテレビも、「コギャル」を扱います。時には春雨のような髪の毛に、もはや口紅とも言えない「口白」や「口銀」。それを女子高校生や女子中学生の代表として扱います。しかし、マスコミが先の状況であるなら、これら報道されているものは日常とは言えないことになります。事実、150万以上の全国の女子高校生のうち、いったい何人がいわゆる「コギャル」なのでしょうか。それもわからず、女子高校生のほとんどが「コギャル」がごとき表現があると、それは本当かと思います。
 時代の反映と簡単に言うことはできますが、なかなか日常というものは記録できません。恣意的な情報はあっても、日常の素直な記録はありません。事実、5年前の日常は人の記憶にはあっても、それを記録しているものはないのです。日常というものは、いつの時代でも記録されません。年鑑に載っているのも、事件や問題や特異な問題だけです。日常を記録すること、それも定点観測的に記録すること、これがこれからの世の中には必要なものです。特に、インターネットなどの情報が簡単に伝達できる世の中ほど、日常の記録が必要になるでしょう。もっとも、その時には、プライバシーなどの問題もありますから、伸長を来す必要はあります。また、どうしても記録者の主観になりますので、客観的な記録はできないでしょう。それでも、日常に目を向けることは、必要ではあります。
 以前、かくかいでは定点観測の必要性を説きました(未公開NEWS)。日常の記録の定点観測、それをいろいろな人が同時展開でしていくこと、そこに「書く」という必要性があります。日常性と「書く」はいつも一体としているのです。

 気になる表現 

[本]中西秀彦「活字が消えた日」晶文社 \2600

 印刷会社が、活版から電算写植あるいは電算印刷に移行した記録として、その担当者が語るドキュメンタリーです。活字というものが文化として存在していたのに、それが時代要請により消えていきます。働く人との間、活字を欲する人との間、組み版と文字コードとの間など、すべてが文字文化の推移についての語り部となって証言しているとも言えます。時代が推移していくときに、このような記録が必要だと常々感じていました。一気に読んで、やはり、文字文化というものをもう一度考える必要があります。先日、購入して一気に読んでしまいました。
ISBN4-7949-6172-3

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