鴛鴦呼蝉庵日乗
2006.1.1  365分の1日

  いつもながら、正月は掃除か年賀状書きかで終わるのですが、今年も掃除で年越しとなっていました。換気扇の。

 で、今年もだらだらと続いて書いているわけですが、かといって目標もあるわけでなく、ただつらつらと書いていくだけにすることに。あまり決めてかかると後が詰まります。それゆえ、あまり帰省しないで自由にやるのが一番。別に誰からの命令でないのに、自分で時分を縛るのならやめるべきではないかと。サイト運営で苦しむのならやめればいいですし、巨大掲示板を見ていやな思いをするのなら、見なければいいわけです。被害とは別次元で。そういう選択があるのなら、自由にすることも一つの方法です。

 ただ、新年ですから、すこしだらだらを増長して以下に。

 ふと雑誌に、楊見山(ようけんざん)の書が出ていたので、久しぶりに閲覧。楊見山は普段は、山へんに見とで「ようけん」と呼ばれるわけですが、電子テキストの関係で、楊見山として表記します。隷書が特徴であって、見ていくと味があるのですが、でもどこか飽きてしまうところがあります。二玄社から図録が出ていますので、そちらを見るとよいのですが、見ていて飽きるものと飽きないものがあります。1819−1896。清末の役人です。名は顯、字を庸斎・季仇、号を庸齋・見山・藐翁・遅鴻残叟としました。浙江省帰安の人です。八分隷から隷書を学び、漢碑をよくして、特異な隷書をなしました。呉昌碩の師匠です。
  飽きるということで言えば、文徴明はきっちりしてしいて飽きやすいと言われていますが、なかなか飽きません。あの厳しさや生き方が反映しているからでしょうか。1470−1559。明の画家・書家です。名は璧、字は徴明、のちには徴仲です。号は衡山。江蘇省蘇州長州の人。呉派の画法を文人画として完成させたとい言われています。沈周・唐寅・仇英と明の四大家と言われ詩人でもありました。
  そして、あまり人柄は知りませんが、傅山(ふざん)の書はなかなかいいかと思います。自分では持っていないのですが、よく東博で見たり、展覧会で見たりしていて、傅山のは見ていくうちに愛着が湧いてきます。1607−1684。明末の人です。名は鼎臣、のちに山。字は青竹、青山、仁仲。号は石道人、嗇廬、朱衣道人など。王鐸、張瑞図、黄道周などの連綿草で有名です。
  もともとは、端正であり、また人格から文徴明の書を好んでいましたが、このごろは傅山の筆致もなかなかよく、その人格もまた面白いと思うこともあります。書に対する感覚は時に変化しつつあるというのが現実。それゆえ、これという目標を作ると言うよりも、その時に応じて変化に対応していくのが肝要かと。

 MIFESに行ソートがあって、文書整形ダイアログにレコードソートがありました。数字や英文字のみの半角全角の変換については、さくらエディタに搭載されていましたが、秀丸を使うかは思案中。秀丸の外部マクロの半角全角変換やソートの機能の充実さを考えると、どうするのが一番いいのか。やはりこの部分のテキスト整形についは、自作するしかないのかと。もう少し、MIFESの機能でできないか探してみます。別にこれがないと致命的であるということでもないのですが。

 元旦初日に初詣を行くことなく、過ぎました。

 今年の年賀状です。

年賀状
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[今日の記録]
睡眠時間:5:00就寝、10:00起床、5:00時間。
天気:曇り
最高気温:5度

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