鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.08.04  ことばの表現と内容

  ことばで表現するときに、意味を考えないと間違うことがあります。たとえば「写真を撮ってください」というのがあります。これはいくつか意味がありますが、仲間や知っている集団では、記念写真などで一緒に写ることや、カメラで撮影することの両方の意味があります。一緒に写る意味のときに「いいですよ、はい、チーズ」とかカメラを取ると「違う」と言われます。「一緒に写真を撮ってください」というと、一緒に集合写真に写って欲しいという意味ですが、一緒に写真を撮影する、つまり全員が一つのカメラのシャッターを押すこと、全員の指を重ねてシャッターを押すことが、厳密に意味となります。でも、これは「一緒に写真に写ってください」です。
  すでに暗黙の了解事項として、言葉の形式や表現がどうであれ、理解できます。言葉の伝達が不十分であるのはこういう点にあります。
  恋愛ドラマでも、まだつき合う前の関係の男女がいて、その女性が別の男性からデートの誘いを受けたとします。その別の男性はなかなか性格も良くて地位も良くてよい人である。で、その女性がつき合う前の男性、この人に好意を寄せているのにかかわらず、「デートに誘われてしまいました。どうしましょう」と電話したら、「よかったですね」としか言えないこともあります。でも、その場合女性は、「いや、行かないで欲しい」と言われたいのでしょう。でもそういう期待を裏切ることもあります。それは男性が裏切るのではなくて、女性の思い、予想と違ったということになります。相手がどう出るか試していることにもなるわけで、その駆け引きというのは、表現とは違った意味として出されるわけです。
  ことばでの駆け引きは難しいもので、表現と意味との関係は、文化的な要因も含めて、人間関係もありますから、なんとも言えないのでしょう。でも、それは日常的にあるのですから、いろいろな体験、失敗や成功や、喜びや激怒や絶望や悲しみなどを乗り越えて、意味の世界に行くのですが、それが人生のドラマなのかもしれません。
  多くの場合は、ことばでやりとりするわけですから。ただ、ことばで通じることのできない場合もあります。言語障害を持つ方については、手話や筆談や、それいがいの察する方法で行います。ということは、手話や察するということも、コミュニケーションの一つですから、言語と同じ立場に立つのだと思います。ある考えでは。

 今日は予定をキャンセルして引きこもりました。筋肉痛はまだ出なくて、ただ、ぐったりしてしまい、さすがに富士吉田の疲れでしょう。他人の健康状態や精神状態を見る時は、その分自分の体力を消費するのと、この暑さもあって、休養です。ただ、パソコンに触る時間は1時間程度というのも、何か少ないのですが、健康的というべきなのか、それとも異常と言うべきなのか。それはわかりません。

 買ってもまだ見ていないDVDや、聞いていないCDがたまって、なかなか切り出せないのは、それを見たり聞いたりする時間を待っているのかも知れません。いつでも聞けるというわけでなく、特に好きなアルバムや映画ならいつでも鑑賞できますが、そんなに好きではないが、興味有るものだと、見るのにタイミングが必要になります。受け入れる側の準備というか、高まりというか。そのタイミングに見ると、一番おもしろく感じるのですが、そうでないときに見ると、大したことのない粗探しをします。

 もっともこんなところで書いている時間があれば、別のことをすればいいと思いますが、それはそれで、食事と甘い物は別腹というのと、同じなのかもしれません。疲れる度合いが違うのでしょう。

 以前、膝を壊して半月板の損傷があったとき、1年間かけて電気治療、実際には電気治療ではなくて、赤外線治療なのですが、それをしたことを思い出しました。根気よく通ったおかげで、後遺症もなく普通に歩けます。治療は長い時間かかりますが、食事も含めて、精神的な努力が一番大きいかと。気力充実というのはなかなかできないのですが、理想として向かう場所です。場所であって状態ではないというのがわかるかどうかで、行き方が変わるかも知れません。いつでもどこでも気力充実ではないですから。

 『欧文書体』を購入。Arial Unicodeのことが気になったので。それと、Meiryoがどうなるのか、Unicodeも含めて、これからのフォントや日本語や文字表記、パソコンや印刷物の場合ですが、それが気になります。最近の印刷物はデジタル、つまりパソコンでの処理が多いため、フォントはデジタルのものになりつつあります。それゆえ、印刷、本、雑誌、新聞、チラシ、パンフの媒体、パソコンのブラウザ表示やFlash表示もそうですが、フォントによります。活字からフォント文化へ。これは実は、恐ろしいような気がしますが、その中でも美しい文字を求めたいと。昔なら本の背は人がレタリングとして書いたわけですから、それが電算化して、どこでも同じ文字というのは、実はおかしいのですが、それも許容しなければなりません。フォントも8ptぐらいと16ptぐらいと60ptぐらいでは形が変わらないと可読性が変わってしまいます。どんな大きさでも同じように可読性がいいということは本来ないのですが、それに近づけるというのが難しいのです。それゆえ、最近はウェイトの種類を多くする傾向にあります。L、M、D、R などや、W1、W3、W5とかです。ウェイト別に出すことは、表現の幅が増えるわけですから、より効果的な文字表現へとつながります。
  Macがヒラギノなのに、MSは独自のフォントを開発とのこと。パソコン画面ではヒラギノが一番美しいと思うので、今度のVistaはどうなるか、Meiryoの今後の改訂が気になります。

[今日の記録]
睡眠時間:3:00就寝、10:00起床、7:00時間。
最高気温:34度

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