鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.05.27  読者が求め作る虚構、そして空気感

 仕事で、富士山からの鳥瞰写真を求めていて(いったいどんな仕事なんだか)ようやく見つかりましたが、どうも印象と違うのです。今まで何度も見てきた風景なのですが、多く方のサイトはパノラマにしているのですね。でも、目視している範囲はもっと狭いので、凝縮したような感覚になります。また、天候がすぐれていい時の写真はないので、どうしても霞がかっています。で、そうなると、人工的な対策を考えるので、カシミールを使うことに。ところが、カシミールだとかえって見えすぎてしまうのです。たしかに遠近はしっかりとしているのですが、どこか違うのです。で、はっと気付きました。
  空気感なのです。その昔、zeitで見たAnselAdamsの写真の透明な空気感です。二次元の写真、それも白黒なのに、向こうに何かあるような、立体的な映像でした。あまりの美しさに向こうが見えるようで、あの空気感です。ブレット・ウェストン、エドワード・ウェストン、ウィン・バロック、その他のすぐれた写真家の写真はどれも空気感に満ちていました。
  空気だと、遠くになると、色が変わって見えます。紫外線のせいかもしれませんし、空気のよごれかもしれません。緑色でも遠くだと、青緑となります。その色の違いや霞の程度や、そういう空気感がカシミールだと十分に表現はできません。むしろ、カシミールだと、そういう表現は必要ないと思います。今のままで十分にいいソフトなのです。
  3Dソフトで作成された画面がどこか不自然に見えるのは、この空気感だとわかりました。それを再現するには、なかなか難しいでしょう。最近のソフトは優秀で、波の干渉も表現できるほどになっています。水の描写ほど難しいものはなくて、それができるということは、それだけ複雑な解析が出来たことです。
  でも、視角はあくまでも視角なのです。見えるというのは、個人的な体験ですから、個人の意識、虚構によって作れられた世界の描写なのです。それがわかるかどうかですね。解釈学やディスクール、そして、読者論。そこに展開されるべきものは、虚構なのです。それは作者の虚構ではなくて、読み手が作る虚構です。虚構とは読み手による創作であることを知るべきでしょう。虚構が作者によって作られたとは別次元で論じるべきだと思います。いずれまたこの話は続きます。

 気になっている本があって、まだ読んでいません。
○竹村信治『言術論』笠間書院
○武久康高『枕草子の言説研究』笠間書院
  言説は今、ブームのようになっています。ハルオ・シラネ氏の論考から文化研究的なそして、言説的な研究は盛んになったようです。もっともそれ以前からありましたが、今日のように爆発的なブームになったのは、途中からだと認識していますが、もしかしたら、違っているかも知れません。
  ふと、リクールが没して、解釈学の新しい展開があると以前思っていた、あるいは担うと思っていたリクール没して、次なる展開は文化研究、カルチュラル・スタディーズを超えた所にあると思うので、その先を見るべく、今のうちに言説について考えたいと思いました。

 今日のほとんどは自分の仕事ではなくて、春闘および他団体との関わりの書類作成ばかりで終わりました。溜めていたのが悪いのですが、一つ一つじっくり読んで取りかかると、かなりの時間になりそうです。書類を作れられた方には申し訳ないのですが、できる範囲で対応することにしました。何しろ時間がありません。数量調査の用紙だけでも3時間かかりましたから。ただ、個人情報にもなりやすいから、こういう調査はこれから難しいですね。それにしても労働に関わる争議がこんなにも多いとは、労働者に対する意識が低いのではと思います。働き手を育てることがなくて、成長はないと思います。

[今日の記録]
睡眠時間:5:00就寝、7:30起床、2:30時間。
最高気温:26度

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