鴛鴦呼蝉庵日乗
2004.05.16  喧噪

 これだけの湿気だと、いまの天気はすでに梅雨だとしたほうがいいですね。季節は早くて、サクラも早く咲きますが、5月の暑さ、そしてこの梅雨。季節はまちがいなく早くなってきていると思います。温暖化の影響で冬が短いのではないでしょうね。季節が早まってきているのでしょう。なぜかはわかりませんが。そうだと思えば不思議はありません。
  近所のカラスの鳴き声が、3時ぐらいからしきりになります。子育ての時期なのか、あるいは何かおきているのか。

 会合に出席。小山妙子さんと立ち話。昭和22年に中学に入学。これも希望した中学に入ったものの、収容できず、委託先の中学へ行くことに。そのあたりの戦後のことを尋ねました。もう忘れてますよといいつつ、鮮明でした。いずれこの時期のことを伺おうと思います。もっとも私が歴史研究だということは知らせていないから、なぜそんなことを知りたいかというのは不思議でしょうね。
  会合では、世話人の小山さん他、多くの方が自分より若い方を迎えて、おわったら、食べ物のかたづけなど、世話人の方達がせっせとして、若い人はそのまま楽しく帰るという構図。本当なら若い人か手伝い、世話人の方の労をねぎらうのでしょうけど、そういう所はもう、時代が過ぎ去ってしまった、遺物となった、いや、時代というより、そういう価値観、若い人が年長者を敬うという時代と価値観はすでに過去となったことを身に染みました。
  いろいろと話すべき場でありましたが、今回は、話しかけて来る人のみ受け入れて、積極的には向かわず。狭い場所での喧噪は一番苦手とするところです。騒がしさというのは、一番拒否したいところなんですね。でも、スポーツ観戦などの大音量は、気にしませんし、ライブでの大音量も気にしません。不思議に、ざわざわした、一定の速度や価値観を持たない人の声が弱いのでしょうね。喧噪にいると、話す気力がなくなります。どうでもいいとう感覚になりますね。
  もっとも、何年ぶりという話もないから、あまり話すこともないというのが事実。ただ、今の状況はどうなのか、知りたい気持ちもありました。でも、話さなくても様子をみていると、表情を見ていると、苦でもない様子がわかりましたので、あえて話さなかったのです。終わってから、私を探した人がいたらしいですが、すでに帰宅の途に。またいずれの日か、話すこともあるでしょう。
  ただ、言葉でないと伝わらないこともあります。言葉で伝えるのは難しいですね。時に、いろいろと気詰まりした状況から脱したのであれば。元気なのか、楽しいか、そういう簡単な台詞だけでいいのかと、迷いますから。そんな簡単な言葉で伝わるかどうか。それゆえ、そういう言葉をいうことで、かえって、軽い場になるのがいやなのかもしれませんね。もう少し、話したりすることに意味や価値やドラマチックな展開を求めているのかも知れません。言葉が相手に伝わるときの、緊張感とか、雰囲気とか。
  それ以外でも話しかけておきたいが、何を話していいものかということもよくあります。そう言うときは、話したい気持ちが熟するまで、そのままにしておきます。もしかしたら、それで最後かもしれなくても。
  終わってから、話しておけばよかったかなと思うことはあります。でも、それはそれで、また次の機会に。言葉がもっと熟するまで。

 話すことはエネルギーを使いますね。今回は話すことをほとんどしなかったので、エネルギーを使わなかったようです。少ししか食べなかったのですが、それでも、満腹感でした。まあ、そんなものです。

 それと、個性について考えました。親の遺伝というのか、親の感覚に似てくるなぁと言うのも。子どもは親の感覚をみていますから、親の感覚がそのままいくのでしょうね。

 このシーズンは、障害を持つ人を扱うドラマが増えてます。そういうのが日常になって、違和感がなくなればいいのですが、でも、それはまだ珍しいから素材になるのでしょうね。

 6:30就寝、11:00起床、4:30睡眠。
  朝食、なし。昼食、オードブル。夕食、ごはん、みそ汁、野菜いため。夜食、なし。

 
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