鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.07.03  ドライアイ

 昨日の夜から目が痛くて、ドライアイが進行してしまいました。ドライアイを避けるためにパソコン用のめがねをしているのですが、それも効かなかったようです。このパソコン用めがね、以前も書きましたが、日本光器のもので、目に悪いブルーライトをカットします。これがなかなか私にはよくて、ブラウン管ディスプレイはとてもよかったのですが、まぶしいという理由で、液晶にしました。それでも、やはりまぶしいので、輝度は50%にしています。サングラスを使うようにしてからは、かなり楽になって、涙目や目のただれがなくなったのですが、春になると紫外線が強くてだめですね。で、昨日から目の疲れがピークになって、昨日の夜から乾いてしかたありません。今日は積極的な水分をとったのですが、それでもだめですね。といいつつ、仕事して、そして合間に借りてきた「K−19」を見て、そして、仕事しながら、パソコンの隅の枠で借りてきたSEEDの2巻を見ました。今日は映像の日々でした。仕事は少しずつ終了。あと一日あると終わるのですが、なかなか時間がありません。土曜からは日曜と連続して忙しいので、仕事は難しいですね。

 昨日は職場で日頃あまり丁寧にやっていない場所をきれいに清掃。何人かでやりましたが、実にゴミがおおい。一番困ったのが、ロッカーの上に置きっぱなした弁当の殻。すでにカレーに黴が生えてました。床は一部雑巾で、後はダスキンモップで丁寧にほこりをとりましたら、いや実に昔の姿に戻りましたね。汚い場所では、作業効率が劣ります。いままでその場所の作業効率が悪いのは、清掃が一因だったのでしょう。古紙を二束出したら、肩がいたくなりました。また、高いところの清掃をしたので、それも無理だったかも。腱鞘炎でしたから、しばらく清掃をしていなかったのがよくなかったのでしょうね。むしろ、清掃して肩を動かした方がよかったのでしょう。
 でも、今日は一日背中が張っていて、何をするにもつらいですね。血行障害でしょうから。運動しないといけませんね。

 舌の傷がまだ治らず。ケナログがみつからないので、そのままにしたら、昨日の夜から痛み始めました。我慢すればなんとかなりますので、ひたすら我慢。こういうときは食べない方がいいのですね。飲むのも。お茶を飲むのも傷口にさわって痛くなります。歯に当たるところだから、なおさらなのですね。話すと歯に舌が当たるのでなるべく沈黙を。

 以前のすんでいたところでは、自転車に乗っていて修理も自分でしていました。パンクした時は、タイヤをはずして交換しました。タイヤといっても、チューブ交換ですから、外側をはずして中を入れ替えるだけです。ブレーキもそうでしたね。ブレーキのワイヤーを交換するだけでした。そう対して苦労ではなく、自転車をひっくり返して、交換するだけでした。その頃はどんなものでも大抵は自分で直していました。
 今ではどうかというと、自分で直すときに、直そうとする意識と同時に、まかせようとする意識があります。自分でしてしまうことも大切ですが、ちゃんとした店に任せていくことが、もしかしたら流通になるからです。景気後退しているときこそ、外注という発想が必要ではないかと思いますね。特に、近所への。それで経済になるから。
 最近では直すよりも買った方が安いというのもあります。直したくないという意識も見えますね。特に電子部品や時間のたったものは買ってくれと言わんばかりです。また、修理費もどんな修理でも最低5000円という店もあって、そうならば、買った方が安いですから。以前、プリンタのヘッド交換を依頼したら、最低5000円、結局8000円となりました。それなら、新品を18000円で買っても、耐用年数からいったら、また技術進歩で美しさからいっても、その方が安いといえば安いのですね。
 価格というものが破壊されることには、リサイクルという概念や消費という概念よりも、修理という概念が不足しているという気がします。なんでも新たに買えばよいという考えは、ある意味では、修理という工匠を失うことになりかねません。

 声優の甲斐田ゆきさんのCD「不二周助 Eyes」を買いましたが、よく見たら、これからですが、甲斐田ゆきさんと高橋広樹さんとでLIVEラジオ番組CDを出すとのこと。いろいろなパターンがあるものですね。そういう広がりとはいいものです。広がりとは自分の世界を広げていくチャンスになりますから。広げていくことが自分にとって、いいことに違い有りません。違いがあるこということは、自分がどのようなことであるかを確認することが出来ます。差を確認できます。差を確認できることが、自分にとっても、いいことなのですね。差を確認することは、対象を確認するのみならず、自分が何であるからを確認することになるからです。自己の存在を自分に示すためにも。
 声というのはいろいろな世界を広げてくれますね。ナレーターもそうですね。以前紹介した、劇団サッカリンサーカスの伊地知ナナ子さんも声は独特の個性的なですね。その伊地知さんが内木明子さんを支援しているとか。内木さんは幸田弘子さんの下で勉強していた朗読家でした。以前、杉野要吉先生が定年退職記念の講演で、朗読を披露していました。どのような仕事になるか、楽しみです。
 朗読というと、思い出すのが麦人さんですね。今は全く音信がありませんが、「ごびらっふの死」の公演を招いて、そして私学の大会でもお招きしました。その時の声の特徴はさすがでした。現在ではいろいろな番組に出演していまして、活躍されています。
 そして花形恵子さんですね。夫婦でなさっていて、朗読の技術、声の良さはさすがですね。声の出し方がさすがに本物という貫禄があります。藤沢周平作品なら花形さんですね。
 もう一人が北川智絵さんです。「金八先生」にもたまに出てましたね。「踊る捜査線」に出たときはびっくりしましたが、さすがの声で、目立っていました。「おこん浄瑠璃」がよかったですね。

 欲しい場所。興味有る者同士のわけへだてのない会話。そして、知識をより集めて、新たらしい知見などを生み出す行為。しかし、現実は邪魔な騒音がたくさんあります。やっかみ、ねたみ、恨み、誤解、自己満足、攻撃。自分でするならばいいのに、迷惑がかかることをする、あるいは意図時にする、無意識にする、そういう行為に出会うと、なぜか、関わることをしなければよかったと思うことがあります。でも、関わりがあるから人間は楽しいので、その苦しみが有るから次の楽しみがある。そう論理的にいろいろ語っても、結局はよそ者からの意見で、当事者から見れば苦渋の選択なのですから。当事者の感情は何があってもどうしようもないことなのです。はまれてしまうことの意義、そして、生き方。いつの間にか忘れてしまった優しさ。
 静かな場所はなかなかないですね。自分で静かに考える場所は。どこにいても、どこに行こうとしても、何も答えは出ないのです。自分の心にあるから。

 線香花火のシーズンとなりましたね。売り始めたそうです。はかない光。そして、その光の中に見る、素朴と想像と。素朴である者は想像を盛んにする。

 本日購入のCD。
○マーディレイラ「軌跡・・・ring」
 これも予想見的に買ったものです。聞くのは後になるでしょうけど。

 本日購入のDVD。
○新海誠『DVD BOOK ほしのこえ』徳間書店
 まだ見ていませんが、これはかなりのよい作品のようで、楽しみです。

 3:00就寝、10:30起床、7:30睡眠。寒くて、何でも目が覚めました。その繰り返し。それであまり寝たという充実感はありません。これも困りもの。座椅子で寝た方がすっきりして、布団で寝た方がすっきりしないというのも、なんだか。
 生活時間というのと、生活サイクルというのがあって。一人で生きていくことはできませんから、いろいろな訪問販売、つまり押し売りがあったり、新聞の勧誘があったり、不動産勧誘の電話があったり、近所の騒音とか、いろいろ困ることも有りますが、多少が我慢が必要です。忍耐ですね。

 優しさを失ったら、人間終わりですね。優しさの足りない私がこんなこと言っても説得力ありませんが。


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