2002.12.09 後継
 こんなこと、考えました。今の自分がおかれている環境がよくないとします。その場合、改善したいので、努力します。自分たちには間に合わなくても、次の世代が苦労しないようにと願うからです。その努力には尋常ならざる力が必要なので、他の人と協調して改善していくように努力します。そうして人と人とのつながりから、協調して改善することができるとします。ようやく得た改善でも、すでに年月が経ってしまい、自分がその改善の恩恵を被ることはありません。それは次の世代には有効なものとなります。その改善したことは、そのすぐ後の世代には語り継がれます。そして時は経ちます。初代の人々が苦労して改善してきたことは、すでに忘れ去られています。改善した内容ついては、人々の協調によって得たことは誰も記憶にありません。すでにそのような内容であったので、人々の努力ということを感じられなくなります。すでにあるのが当たり前となったのです。
 この時、人々の努力はすでに過去の遺物であり、いや、過去にもならない記憶から抹消されます。人々は個から集団へという認識される過程を通じて、そして最後には忘れ去られます。しかし、問題は次です。新しい世代の人々は、自分たちの不満について、次の世代に残そうという意識はありません。自分たちさえよければ大きな力を結集して改善する必要はない。次の世代が改善したいなら、次の世代にまかせればいい。自分たちの改善しようとする意識は、時と場合によっては、次の世代にはおせっかいになる。だから、今、自分たちがしたいことだけをすればいい。そういう意識が出てきてもおかしくはありません。
 人々のために努力し、身を粉にして苦労してきた世代は、後の世代からは、「それが楽しかったのでは」などと言われてしまいます。何も評価を受けたいがために努力してきたのではありませんが、後の世代からそのように言われると、何のためにがんばったかわからなくなります。それまでの自分の存在価値がなくなるからです。努力した世代は、自分の存在価値がなくなります。それは悲しいことです。しかしもっと悲しいことは、自分たちが正しいと思った行動を根本から問い直されることです。もう、そういう時代ではなくなったということかもしれません。
 自分たちがしてくこと、自分がしていくこと、それは何であるか。結局あらゆるものは、お節介です。人のためにするボランティアも本当に相手が望んでいるのかわかりません。私の左足の親指が曲がってきて、外反母趾になりつつあるのも、それはサンダル会社の想像力です。はきやすいと思うがために、足に合うように全体的にくぼませて、周りを少し高くするのです。しかし、そうなると、足はそのサンダルに合わせてしまいます。自分がなくなるのです。合わせることは、自分を幾分か捨てることです。それは、非常に難しいことです。自分の劣悪な部分を超越することですから。労働組合運動や地域の町内会が不振なのは、社会がある程度安定してきて、もう改善する余地が個人にあるという意識、何をやっても変わらないという諦観、いろいろな事が重なり、今のようになっているのではないでしょうか。

 漬け物のシーズンです。キャベツの漬け物を今日、食べました。白菜やにんじんやキュウリはどこでもありますが、キャベツのぬか漬けはなかなかの美味です。キャベツ自体にも栄養は十分ですし、キャベツの食感もなかなかいいものです。

 文章を書くことは難しいし、作家が自分に関わることを書くことで、家族に迷惑をかけることがあります。でも、それは生活の糧だからという論理は成立する。しかし、生活の糧でなく書き記すことで、逆に迷惑を感じる人もいることでしょう。2chなどの掲示板は、みごとにネット社会の効果的利用なのですが、中にはいろいろな問題を含んでいます。精神的にダメージを受けてしまうこともあります。ある人は言ってました。「そんなに体を悪くするぐらいなら見なければいいのに」でも、そういう強さはなかなかないから、見て判断してしまうのではないかと思います。そんなことを考えたのも、「掲示板にこんな事書いてあった。ひどい。」という声を聴いたからです。声の主はわかりませんでしたが、他人が書いたもので傷ついたものでしょう。それなら見なければいいと思うのですが、やりは情報源ですから。本でもそうでしょう。いやな本だけどつい最後まで読んでしまう。それは、まだ可能性として何か残っているからではないでしょうか。次だめなら、次には、という期待があると思います。その期待は本当は無意味でも、あがきでも、きっとどうにかなって欲しいという願望です。どこまでできるか、わかりませんが、でも期待することはいくつもあります。辛いことも全て受け止めていけるなら、いいのですが、それほど人は強くありません。だからこそ難しいのです。

 ジョンレノンが殺された翌日、学校で先生が話題にしました。私はその当時、朝は新聞もテレビも見ていませんから、学校で初めて知りました。クラスの何人かはそれはを知っていました。情報の差でした。その差が私には何か大きなモノのように感じたのです。

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