2002.12.05 迷い
 少しずつ見えてくるものがあります。自分の生き方。やりたいこと。他人を気にすると自分が見えなくなる。他人との関係で生きているからそれは当たり前なのですが、いろいろな関係で生きている以上、関係を無視できません。それゆえ、自分の他人との関係がどのような構造になっているかを探る必要があります。自分であり続けていくことは力が必要です。他人との関係を一部なりとも断ち切るからです。断ち切るとは簡単ですが、断ち切ることの後の自分がどこまで保てるかが鍵です。ですが、これが難しいから悩むのです。

 二つのことを選択する場合、何に悩むのか、それは、根拠がないから悩みます。明確な根拠があれば、判断できます。しかし、明確な根拠がない場合は比較しようがありません。比較しつつどうどうめぐりをしてしまいます。そのめぐりを避けるためにはめぐる思考に判断を下す、客観的と思われる情報が必要です。その情報は自分では入手できません。だからこそ、だれかアドバイザーが必要です。そのアドバイザーには、判断基準を求めるというよりも、自分の選択が正しいという後押しが欲しいのです。ほとんどの場合、二つの判断を迷うことは、すでに一つの方向で決まっています。その方向を選ぶ後押しをして欲しいのです。一つの道を進むことはわかっている。しかし、もう一つの方も眺めてみると楽しいかもしれない。つまり、足下はわかっていても、他の世界が楽しく見えてしまうのです。その判断は何か。夢か、楽しさか。楽か。そのあたりはわかりません。ただ、判断しかねている現状は理解できるのです。このような過程をわかっていても人間は悩みます。それは誰でも同じでしょう。判断を下すには時間がかかります。

 まだ先が見えませんが、ここしばらくのがまんです。いろいろなことがまだ片づかないのですが、一つ一つこなさないといけません。時間はいくらあっても足りませんし、睡眠時間も4時間以上となることもありませんし、栄養剤に頼るのあと数週間でしょう。残された時間をどうするかです。最後の目標まで、あせらず進みたいものです。自分の能力を伸ばすには、自分を知ることから始まりますが、自分を知るには時間がかかります。

 自分に隙を与えてしまう。それで愚痴を言ってしまう。もっと強くなれば、いいのですが、強さを持つには、弱さを隠すことになる。強さ、意識、優しさ、そんなものは架空ですが、想像の中で自意識は物語を作ります。その物語が破綻していても。

 土曜日の学会、大平先生は京都で講演で欠席です。いまでもお元気で活躍のほど、頭が下がります。

本日購入のCD。
「天台声明」COCF-15271
「東大寺 お水取りの聲明」KICC5215
お水取り公演は以前、サントリーホールで見ましたが、そのライブ盤です。映像のないお水取りというのは、気が抜けますが、雰囲気は想像できます。 

Copyright 黒川孝広 © 2002,Kurokawa Takahiro All rights reserved.