2002.11.26 偶然 再び
 昨日は遅くまでかかってしまいましたから、記録しませんでした。

 前回、偶然ついて書きましたが、今日も偶然がありました。
 ある人のwebの日記と私の文章が同時期に同じ内容であったと指摘されました。その人日記自体は知らないので、偶然としか言い様のないものですが、この偶然、けっこうありうるのです。つい先日も、もしかしたらすべてのことが仕組まれていて、私だけがだまされているような感覚にとらわれたら、ある人が同じ考えをしていました。
 これも確率的な偶然かもしれません。でも、確率的な偶然がこのように身近にあるということは、人、あるいは日本人、が同じように感じることなのかもしません。ある人が若い人だから、私の感覚がまだ未成熟といえばそうなりますが。

 今年は特に人間関係に悩むひとを多くみています。もちろん私もその人に入るのでしょう。どうも全体的に何かおかしい気がして、でもオゾンホールは拡大していない。そうなると、だれかが精神的にダメージを与える菌でも散布されてしまったのか思わずにはいられないほどです。それでも悩む人が多いという偶然はあります。偶然とは結果から考えるもので、同時期には偶然として判定しません。偶然と判定するには必然との考えを乖離する必要があります。期待をはずれることで偶然と認定するわけです。もし、思い入れがあって、その通りになると想定していれば、偶然と思うことはありません。偶然とは思うことであり、事実ではないのです。つまり、偶然とは現実ではなく、想像の世界としての認識だと言えるでしょう。

 一保堂のティーバッグ、ひもが短いので、カップの中に紙が入ってしまいます。製品自体はいいのに、使い勝手が少し考えものです。

 忙しいのは仕事が連続しているのではなく、単発の仕事が毎日あってそれに追われている現状。なんとかしてこの仕事の量を追い越して自分のしたいことを始めないと、このまま毎日におぼれてしまいます。これは一番危険で、自分の現状で満足してしまうことです。それによって、自分の能力を過信してしまうか、あるいは現実の世界を越えることなく絶望してしまうことです。険しい山の稜線を歩いているものです。うまくいくと、山登りの楽しさを感じることができますが、一歩間違えると転落してしまう。そんな危険性です。躁鬱に近いですね。この位置。まあ、それで心がバランスを取っていると考えると自然かもしれません。
 こういう時に音楽はいいですね。気が休まります。

 蜜柑が届いたのですが、別からの蜜柑もあって、少し多すぎるかもしませんが、この時期だけのものなので、賞味したいと思います。

今日購入のCD
坂本龍一のワークス 2枚 とりわけ坂本龍一を好きではないのですが、つい買ってしまいました。

 今日購入の本。
秋田喜代美『読む心・書く心』
『暮らしの手帖』 ついに第四世紀となりました。第二世紀のころは随分と昔です。懐かしい。
『新潮文庫 全作品目録』 こういう本は大切です。記録するということは必要ですから。

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