鴛鴦呼蝉庵日乗
  2002.10.24 小動物
 子供の頃、季節は春を過ぎて、窓を一日開けても不自然でないさわやかな午後の日差しの中、窓からふと一筋の音が壁に向かって走ってきました。ふと白い壁に目を向けると、十字架は置いてないのに、何かが壁に張り付いています。白の中にも黒の模様がある。それはジュウシマツでした。早速、鳥小屋を買ってきて、入れて買うことにしたのてずが、その一週間ぐらいした後に、また家にジュウシマツが飛び込んできたのです。鳥小屋に二匹、それが偶然、つがいとなりました。それから繁殖すること、もう、数知れず。最後は自前で籠、いや、小屋を作ることになりました。中にはセキセイインコやカナリヤまでも。おもしろいのが、えさを食べる順番がカナリヤ、セキセイインコ、ジュウシマツの順番なのです。カナリヤは気分屋で、いらいらしているとジュウシマツの頭をつつきます。なかなか難しい。セキセイインコは生まれて少ししてから、えさをスプーンで与えるようにしたら、手乗りになりました。時には部屋に放つと、楽しそうに飛んでは壁にしがみついていましたね。成鳥になっても、ちゃんと手に乗ってじっとしているのは、子供の時にえさをあげた成果なのでしょう。だから、何か良くないことがあったり、ネズミが出たりした時には、騒いでいました。でも、手乗りにすると、寿命が短い。他のインコよりも早く死んでしまいました。
 ハムスターの寿命は3年といいます。4年半も長生きしたハムスターがさすがに最後は寿命で目が開かなくなって、亡くなることがあるとか。犬猫なら深大寺に葬れますが、小動物だと、どこかになります。以前、練馬に住んでいたとき、大家さんは生き物は金魚でもだめという人でした。というのも、いつか死んでしまうから。別れは哀しいもの。だから飼ってはいけいなと言ってました。CMで犬を見てかわいいと思うお父さんがいますが、その時はかわいくても、いつか別れが来てしまう。それを考えると飼えません。
 でも、教育も人を教育できるのは、一年、あるいは三年までで、それ以上はなかなかないもの。小学校なら6年でしょう。いつか来る別れのために、一生懸命になります。でも、別れる。別れた後はまた、何事もなかったかのように、四月を迎える。その繰り返し。無常。今を一生懸命やる。でも、それが伝わったって、その内、きれいに忘れられてしまう。名前も、顔も。そういう無常の中で、自分の限界と無力それを感じてしまう。でも、そんなものかもしれません。人を教えるということは傲慢であり、そして、その人の素質を伸ばすといっても、結局はその人がしない何も成らない。ただ、無気力の人は、無気力と思いこんでいるだけで、そうでないことを、道標を示すしかないのです。

 学会で塚田先生、甲斐先生から体調のご心配をいただきました。まだ、完全ではなくて、時折、食事量が減ります。休みになると。それと、仕事がためてしまい、また7月までのように、3時就寝、時には5時就寝、7時起きの毎日です。いつになったらこの生活がもとの順調な生活になるのかわかりませんが、時間が足りない思いはあります。一日が48時間あれば、なんとかなるのですが、でも、きっと無駄なことをしないようにという人生の命令かも知れません。何かをすべきかなんて誰にもわかるものではないのですが、自分にできること、自分だけにできることがきっとあると思ってます。その発見の旅は、先が見えないから楽しいのでしょう。

 原稿も進まず、校正も進まず、明日の会合の準備もありまして、いろいろであります。もうすぐ国語教育史学会の紀要も入稿となります。やっとですけど、来週早々に入れて、11月上旬刊行予定。大幅に遅れて申し訳ありません。日本国語の方もなんとか今月中に処理します。

本日購入の書籍。書名のみ。上4冊が古本、下が新刊。
『読書の指導過程』
『国語教育の原理的研究』
『国語教育学考究』
『国語教育論序説』
『情報デザイン入門』
『大学受験のための小説講義』
『漱石・子規往復書簡集』
当分は読めそうもありませんが、買ってしまいました。昔買いたい本があったのですが、そのまま買えずにいて、それで書名を忘れてしまいましたが、やっと思い出しました。増淵恒吉先生の『国語科教材研究』でした。なかなか古本屋に出ないので、じっくり待ちます。欲しい本って、なかなか入手できないのが残念。

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